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馬路村農協

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ごっくん馬路村誕生物語

「ごっくん馬路村の村おこし」のいきさつ

 昭和62年ゆず大豊作、ゆずの価格は下がり、高知県内の各産地はゆず果汁を持て余していました。馬路村農協はそれほど深刻な状況ではありませんでしたが、価格が下がるという事は価値も下がると考え、ゆず果汁が足らないくらいにしないと安定しないのではと東谷課長は思ったと言います。  ゆず果汁を足らなくする?どうしたら・・・うーん、飲むしかないろ・・・そうやなぁー、小さな村では大した事は出来んけど、ゆずだけでジュース(ドリンク)作ってみようか。うーん?設備もないし、研究員もいない!まぁやってみるか?

ほらほらぁ大豊作じゃ馬路の山はえらーい。

 東谷はひまを見つけては集荷所の片すみで、ゆずやはちみつ、砂糖を水で薄めては飲んでいました。

いまいち、よくない!

そのうちに自分では味が分からなくなり家に持って帰って子供に飲ましました。

「おいしくない!」

「いらん!」

 感想、聞いてもわからん。とにかくおいしくないらしい。うーん!何が悪いかもわからん!まぁいろいろブレンドしたから自分にも方針がなかった?・・・

 いま町で売れている飲み物はみかんジュース、リンゴジュース、最近はうすい○○エット?水も発売されたみたい!そうか時代は甘さがうすくなってきてるか・・・よし、限りなく水に近いゆずドリンクにしよう!方針が決まれば、ゆずドリンクの開発もそう難しくはない。

 ゆずと砂糖を少しずつ入れた。それでも後味が何か残るので甘さははちみつだけで作ってみた。悪くはない・・・が味に切れがない!はちみつとゆずで究極まで薄くしたから水っぽくなった。それでもこれ以上濃くしたくない。

これで中断1ヶ月・・・

岡村先生との出会い

 ある日、中学校に赴任して来た岡村先生がぶらぶらやって来た。

「そーか〜、もっちゃん、反対に塩入れてみたら。」

「えっ・・・塩」

 ちょっとだけ、ほんの少し入れてみた。

 あーー、画期的に味がよくなり、水っぽさが消えた・・・これや・・(岡村先生の塩入れてみたらは、ずーっと秘密でした。)さっそく家に持って帰って子供に飲ました。

「おいしい・・・」

 それしか言ってくれなかったけど、とにかく子供はおいしいと言った。自分では半信半疑で女性部の会に持って行ってみんなに飲んでもらった!いろいろ意見を言う人はほとんどなく

「おいしい!」

 これで作ってみるか?なやむ事に。最後に入れた塩をどうするか?かくし味・・・

 県の工業技術センターに相談してみた。

「ゆず果汁は塩入りもあるから、えいがじゃない・・・」

 これで決まり。原料ははちみつとゆずの表記でいこう。

 どういう訳か20数年後に塩を入れないようにしました。人の味の感覚は変わっていってます。塩がなくても現在は水っぽくないのです。そうでしたか。時効の話です。

ごっくんが生まれる

 名前が・・・実は開発と同時に名前も考えていました。○○ドリンク、○○ゆず、○○ジュースどれもぱっとしないし、100%でないからゆずジュースともつけれない。

 名前は3ヶ月くらい考えました。その頃になると商品化を考えていましたのでビンを決めかけていました。

「ビン屋さん、サンプルビン持って来て。」

「はいはい!探してみます。」

「あのメーカーが使っているビンみたいなのを・・・」

「あのビンは止め型でいきません。」

「売ってくれんが・・・」

「止め型ですから!」

「かまんビンないが・・・」

「さがしてみます。・・・」


 しばらくたって


「このビンなら・・・」

「あんまりかっこよくないねぇ、尿ビンみたい・・・」

「(ビン屋さん)四トン車単位で取ってよ。」

「えっ・・・」

「(ビン屋さん)それとビンはバルグ包装で・・・」

「さっぱり意味がわからん。バルグ・・・」

「1つのパレットにダンボール敷いて9段で1バルグ4,860本×7枚やから、34,020が一回の納入です。」

「えらい強気やなあ!」

「キャップは、こんなプルトップルで、しめる機械がいります。」

「××○△×△、何や簡単には作れんがや・・・どうしたらえいで・・・」

「1本ずつ手で詰めるなら手動式もありますよ!」

「それそれ、ちょっと見せて・・・」

 これでタンクとボイラーはあるので製造は出来る事になった。

 名前・・・東谷はこの頃、ゆずドリンクの名前には田舎くささのたっぷり出た名前と、町の人にうけるスマートな名前、どちらが良いか迷っていた。が、考えはだんだんと村を売りたい、村らしさを出したい方向に考えが固まり、村をどこかに使いたいと思うようになっていた!

 その背景には、当時日本の101村展に参加し西武百貨展のポスターで「東京には村が欠乏している」とかいろいろ見て来て村に自信を持ち始めていた。東京で見た居酒屋「村さ来」もその1つだった。

 ある会合のあとダイイチダルマ食品の社長と飲む事になった。この会社、みそ屋でありながらゆずドリンクも発売していた。あんまり売れてもないドリンクは名前が『村のドリンク』だった。

「社長その名前ちょっと使わしてや!」

「いかん」

 あの時、えいでー使いやと言ってくれたら『ごっくん馬路村』は出来ていなかった?ネーミングはまた振り出しに戻った。が、ある時雑誌を見ていたら「ごっくん」という文字が目にとまった。ビンの口は広いし飲むのに「ごっくん」と飲めそうだし、飲み物を飲む表現としては良い表現やなあと「ごっくん村」と独り言を言ってみた。いまいちしっくりこない。次に「ごっくん馬路村」と言ってみた。勢いも響きもえい!これでいけるかなぁと思いながらいろいろ・・・

 村の名前が入っても大丈夫だろうかとか誰に聞いても答えは出ないし、まぁ、えいか。これでいこう。『ごっくん馬路村』が決まった瞬間でした。ここでデザイン田上君が登場します。

「名前決めたきラベルデザインしてください。」

「よっしゃー、はい、やります。」

 しばらくたって!持って来た。

「はいこれ!」

「うーん・・・」

 心の中では何やと思ったが、がまんして受け取った。

 それにしてもドリンクのラベルらしくないなぁ!

 東谷は知っていた。頑固なデザイナーは、作品を否定されるとやり直しはモチベーションが下がることを。まぁいいか。売れるとも思っていないし、遊びで作ったジュースやから。この時まだ、馬路村の歴史を作るスーパードリンクになる事を知らなかった!


つづく

ごっくん馬路村